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18 プラトン


『国家』(岩波文庫)

 「すべての支配は、それが支配であるかぎりにおいては、政治的支配であろうと、個人的生活での支配であろうと、ただもっぱら支配を受け世話を受ける側の者のためにこそ、最善の事柄を考えるものだ」(345頁)

 「他人のものでない自分自身のものを持つこと、行うことが、<正義>である」(434頁)

 「僭主独裁制が成立するのは、民主制以外の他のどのような国制からでもない」 「最高度の自由からは、最も野蛮な最高度の隷属が生まれてくる」(564頁)

 「(民衆は)自分で働いて生活し、公共のことには手出しをしたがらず、あまり多くの財産を所有していない人々からなる。民主制のもとでは、この階層は最も多数を占め、いったん結集されると最強の勢力となる」(565頁)

 師ソクラテスは民主政治の名の下に処刑され(プラトン28歳)、この事件を機にプラトンは現実政治から身を引いていた。しかし、40歳代より再び政治的実践への志向がよみがえりつつある中で、ソクラテスの教えを模索した末に、「哲人統治」の思想が50歳代のプラトンの中で収斂されてきた。本書は、ソクラテスが友人らと対話という形で、プラトンの思想が記されている。

 あらゆる政治形態があったとされるギリシアの都市国家群の中にあって、民主制を相対的に評価し、その危険性を指摘しており、紀元前375年頃の著作とは思えない現実味がある。実際、世界史上最も野蛮なナチス・ヒトラー政権は、当時最も民主的とされたワイマール憲法の下で誕生している。


19 ロック


『市民政府論』(岩波文書)

 「人々が国家として結合し、政府のもとに服する大きなまた主たる目的は、その所有の維持にある。」(128頁)

 「立法権は、ある特定の目的のために行動する信託的権力に過ぎない。立法権がその与えられた信託に違背して行為したと人民が考えた場合には、立法権を排除または変更し得る最高権が依然としてなお人民の手に残されている」(151頁)

 「必要な理由がないのに、立法府がいつも、余りにしばしば集会することや、その集会が長く続くことは、人民にとっては厄介なことに違いない。」(158頁)

 「国王の誤ち、権力喪失の理由は、彼が守らなければならなかった人民の自由の喪失にある」(240頁)

 1689年の著作。副題には「市民政府の真の起源、範囲および目的について」とあり、名誉革命(1688年)の合理的な根拠を提供しようとしている。ロックは、従来の君権神授説を、聖書を同じ根拠として反駁している。政治体(共同体)の起源を人間の理性に求めるあたりは西洋の思想家らしい組み立てであり、プラトン以来の歴史的な積み重ねを感じさせる。共同体における父権支配から個人を解放することが求められた時代、ロックの思想は革命的な意義があったといわれている。

 ロックは所有が権利の源泉だとしているが、それは天然資源の無限性が信じられた時代の所産ともいえる。極端な私有財産化がすすみ、市場原理が社会を支配する現代、共同体そのものの人間にとっての意義を再確認する必要があると思う。


20 ルソー


『社会契約論』(岩波文書)

 「【各構成員の身体と財産を、共同の力のすべてをあげて守り保護するような、結合の一形式を見出すこと。そうしてそれによって各人が、すべての人々と結びつきながら、しかも自分自身にしか服従せず、以前と同じように自由であること。】これこそ根本的な問題であり、社会契約がそれに解決を与える。」(29頁)

 「自分の体制にくらべてあまりに大きすぎる政治体は、自分自身の重みにおしつぶされて衰亡するのである。」(72頁)

 「貿易か戦争かのどちらかしか選べないすべての国民は、本来弱いものである。」(73頁)

 「政府は主権者の公僕にすぎないのだ。」(84頁)

 「国家が大きくなるにつれて、自由はますます減ることになる。」(86頁)

 「一般に民主政は小国に適し、貴族政は中位の国に適し、君主政は大国に適するということになる。」(95頁)

 「真の民主政においては、行政官の職は利益ではなくて、重い負担である」(152頁)

 「キリスト教は、服従と依存とだけしか説かぬ。その精神は圧制にとても好都合なので、圧制はつねに、これを利用せずにはいられない。」(189頁)

 教育論の古典『エミール』と同じ1796年に刊行された。この時代のフランスは、「君主主権論」が主流であり、その根拠として「服従契約説」(ある特定の支配者の存在をあらかじめ前提として、この支配者と人民のあいだに契約が結ばれるという考え方)があった。ルソーは、これを全面的にしりぞけて、国家は個々人がお互いに結合して、自由と平等を最大限に確保するために契約することによって成立するという、人民主権の観念を打ち立て、27年後に起きたフランス革命の思想的な支柱となった。

 民主政には適正な規模があるとルソーは言っている。今の日本の政治は「劇場化」してしまっていて、国民に主権者としての意識を持たせにくくしているように思う。


21 福沢諭吉


『文明論之概略』(岩波文庫)

 「文明論、あるいはこれを衆心発達論というも可なり。」(9頁)

 「人民愚に還れば、政治の力は次第に衰弱を致さん。政治の力、衰弱すれば、国、その国にあらず。」(53頁)

 「合衆政治は人民合衆して暴を行うべし、その暴行の寛厳は、立君独裁の暴行に異ならずといえども、ただ一人の意に出るものと、衆人の手になるものと、その趣を異にするのみ。また、合衆国の風俗は簡易を貴ぶといえり。簡易は固より人間の美事なりといえども、世人簡易を悦べば、簡易を装うて世に佞する者あり、簡易を仮て人を嚇するものあり。」(69頁)

 「鎌倉以後、天下に事を挙る者は、一人として勤皇の説を唱えざるものなくして、事成るの後は一人として勤皇の実を行うたるものなし。勤皇はただ事を企る間の口実にして、事成るの後の事実にあらず。」(93頁)

 「攘夷論はただ革命の嚆矢にて、いわゆる事の近因なる者のみ。一般の智力は初より赴く所を異にし、その目的は復古にもあらず、また攘夷にもあらず、復古攘夷の説を先鋒に用いて旧来の門閥専制を征伐したるなり。」(108頁)

 「政府は新旧交代すれども、国勢は変ずることなし」(219頁)

 「国の独立は即ち文明なり。文明にあらざれば独立は保つべからず。」(301頁)

1875(明治8)年、維新後の混乱にあって、「政府と名る籠の中に閉込められ」た伝統的知識人の枠を破った、自由独立の知識人として、「憂国の学者」として、国のあり方を課題提起している。諭吉は、西洋文明の精神を積極的に学ぶことで、智力を高め、国としての独立を保つべしと、諭吉はとなえる。

 また、明治維新は政変であって、革命ではないと日本社会における革命の歴史を否定する。次回は、その反対に明治維新の革命性を唯物論の立場から評価した野呂栄太郎の著作を紹介する。

 さて、日本は、外面は「文明」国となったが、あらゆるものが米国流に内面を支配されてしまった感がある。日本の真の独立は、今日のグローバリゼーションの流れに乗り遅れないことなのか、国内の地域が自立しながら独自の文化と経済を発展させることなのか、TPPのことでも考えさせられる。


22 野呂栄太郎


『日本資本主義発達史』(岩波文庫)

 「武士の土地よりの分離は、徳川氏が自己の覇権を維持せんがために案出せられたるいわゆる参勤交代の制によって決定的なものにされた。かくて数百万の武士階級は、農民を強搾して安逸なる都市生活を営む遊民と化し去ったのである。ここに都市の繁栄と貨幣経済の普遍化とに広汎なる道は開かるることとなり、農民より搾取されたすべては貨幣経済の媒介によって特定商人の手に集中せられ、かくて高利貸資本と商業資本とは封建的権力をもってしては制御しがたき新勢力として集積せらるるに至った。」(上56頁)

 「我が封建制度は封建制度として極めて典型的なものであり、かつその発達は温室的に助長せられたという点に存する。例えば、我が国の農業は、主としてその地理的環境の結果として、封建制度の典型的発達を可能にするが如き小規模農業の集約的経営に適していた。この事は、多数の農業人口とともに、多数の封建武士の包容を可能にし、かつ貨幣資本の集積にもかかわらず、商業資本家的家内工業の発達を遅らし、従って町人の手に集積された貨幣は主として高利貸資本として作用した。これらの事情はまた、我が封建制度発達の歴史的条件、なかんずく徳川時代における永き鎖国政策によって影響せられ、その内在的矛盾の発展を極めて徐々に―かつ完全に―成熟せしめ、その外部的形骸の厳存にもかかわらず、―否、外被の厳存のゆえに―その内部的自壊作用と変質とを徹底せしめた。この事は、先ず、何者よりも封建武士ことに下層武士―形式上のみにおける政治的支配者―をして、封建的毒素の鬱積に堪えがたからしめた。そして、この内部的矛盾の革命的爆発の直接の導火線となったものは、実に、欧米資本主義国との接触であった。」(上69頁)

 「攘夷論は、先ず国民的覚醒と統一国家への欲求を喚起することによって、既に潜在的にあるいは個別的に醸成せられつつあった反封建的傾向に全国的統一を与えたが、次いでそれが尊王論と結合することによって政治革命的スローガンとなった。」(上73頁)

 「明治維新は、明らかに政治革命であるとともに、また広汎にして徹底せる社会革命であった。それは決して一般に理解せられるが如く、単なる王政復古ではなくして、資本家と資本家的地主とを支配者たる地位に即(つ)かしむるための協力的社会変革であった。」(上74頁)

「我が国が、後進国なるにもかかわらず(否、むしろ後進資本主義なるがゆえにかえって)、資本の集中が先進資本主義より遥かに加速度をもって進行したという事は、第一に、資本の蓄積が未だ不十分であった事、しかも、第二に、それにもかかわらず、始めて輸入せられたる高度の発達を遂げたる生産様式は大なる資本を必要としたこと、そこで、第三に、その際最も有効なる会社組織、ことに株式会社組織が最初から採用せられた事、および、第四に、先進資本主義国との競争上特に最大可能なる資本の集中を必要とした事等による。」(上125頁)

 1930年、マルクス主義者の野呂25歳の著作。第一次世界大戦における戦勝国としての政治的利益と中立国としての経済的利益とをあわせ享有し得た米国及び日本における急速な生産の増加と独占化が、対立を激化させ、世界中を巻き込んだ戦争となり、絶対主義的天皇制や大地主制度の終焉に至らせることを予言した。

 私としては、本書の明治維新の分析が興味深く、今日の社会構造を考える上での参考にもなると思う。

 さて、民主主義は、構成員の自由と平等を実現させようとするが、それは力ある人にはより大きな力を獲得する条件を提供するものである。資本主義の発展に市民革命や民主主義が欠かせないのはそのような理由からなのだろう。


23 唯円


『歎異抄』(岩波文庫)

 「善人なをもて往生をとぐ、いはんや悪人をや。しかるに、世のひとつねにいはく、悪人なを往生す、いかにいはんや善人をや。この条一旦そのいはれあるにたれども、本願他力の意趣にそむけり。そのゆへは、自力作善のひとは、ひとへに他力をたのむこころかけたるあひだ、弥陀の本願にあらず。しかれども、自力のこころをひるがえして、他力をたのみたてまつれば、真実報土の往生をとぐるなり。」(28頁)

 「うみ・かわに、あみをひき、つりをして世をわたるものも、野やまにししをかり、とりをとりて、いのちをつなぐともがらも、あきなゐをし、田畠をつくりてすぐるひとも、ただおなじことなりと。さるべき業縁のもよほさば、いかなるふるまひもすべしとこそ、聖人はおほせさふらひしに、当時は後世者ぶりして、よからんものばかり念仏まふすべきように、あるひは道場にはりぶみをして、なむなむのことしたらんものをば道場へいるべからずなんどといふこと、ひとへに賢善精進の相をほかにしめして、うちには虚仮をいたけるものか。」(80頁)

 1288年に親鸞の弟子・唯円によって書かれた、過激な、そして革命的な書である。

 人間が生きていく上で、食べることと子孫を残すことは本質にかかることである。それを否定した生き方には人間社会の存続を描くことはできない。それが許されるのは特権階級のみである。

 親鸞らは、たんに堕落した仏門を批判者するだけではなく、根本的な人間の救済を願い、圧倒的な多数者である貧しく学のない人びとを古い仏教の呪縛からの解放者として歴史に登場した。

 その時代は、奴隷制を土台とした中央集権型の古代から、農奴や武士らを担い手とする荘園制度を土台とした中世へと転換しようとしていた。その担い手たちに求められるのは農業生産力と人口生産力の向上である。歎異抄は、まさに海に野に働き子孫を育む者たちを励ます教えである。

 私なりに親鸞の教えを意訳すれば以下のようになる。

 ひるむことはない。額に汗し、ものをつくりとり、栄養をとり、子孫を生み育てるがいい。それが人間の業というものだ。おごりを捨てて、自然に身をゆだねながら、その生を一生懸命に尽くすがいい。心配することはない。その人生の終わりには弥陀が極楽浄土へと導いてくれる。そのことを信じ感謝して、日々念仏を唱えなさい。

 今日、人びとは自らのための生産から疎外され、子どもを生み育てることが難しい状況におかれている。この社会が存続していくためには、人間が生きるための営みに還ることを誇りと思える思想が求められているのではないか。そして、それこそが民主主義の土台なのではないか。


24 セン


『自由と経済開発』(日本経済新聞社)

 「国家と社会には、人間の潜在的能力を強め守るうえで広範な役割がある。それは出来合いのものを提供するのではなく、人を助ける補助的な役割である。」(57頁)

 「市場の広い活用と社会的機会の発展の組み合わせは、他の種類の自由(民主的な諸権利、安全の保障、協力の機会等々)をも重視するもっと幅の広い総合的アプローチの一環とみなされなければならない。」(143頁)

 「複数政党制民主主義が機能している国では飢饉はたしかに一度も起こったことがない」(202頁)

 「資本主義が現代社会で直面する大きな挑戦には、不平等(とりわけ、未曽有の反映にある世界に存在する極貧状態)の問題、公共財(環境のように人々が共有する財)の問題が含まれる。これらの問題の解決には、資本主義市場経済を超えた制度が必要になるのはたしかである。しかし資本主義市場経済そのものの力が及ぶ範囲も、多くの方法で拡大することが可能である。それはこうした関心事に敏感に反応する倫理を適切に発展させることで可能になる。市場メカニズムと広範な種類の価値との両立可能性は重要な問題であり、純粋な市場メカニズムの限界を超えて制度的な仕組みを拡大することを探りながら、これに取り組まなければならない。」(306頁)

 「開発は自由の可能性との重大な契約なのである。」(343頁)

 仏教改革者の親鸞は生産する者たちの見方として日本の歴史に登場した。仏教が生れたインドは哲学の国でもあり、数学や経済学にも奥深い思想が見られる。

 アルマティア・センは、幼少期に飢餓により荒れ狂う人々の悲惨な姿に目の当たりにした原体験が、経済学を志す原動力だった。本書は、センがノーベル経済学賞を受賞した翌年(1999年)に出版されている新しいものだが、必ず古典になるという確信があって紹介した。

 自由は経済開発の目的であり、手段でもある。その自由に対する根源的な問いかけは、新自由主義の無責任さ、ご都合主義に対する痛烈な批判でもある。センの経済学思想は、国連開発計画による「人間開発指数(HDI)」の提唱に決定的な役割を果たした。

 では、「自由放任主義」ともいわれた「経済学の祖」アダム・スミスはどんなふうに経済をみていたのか、次回からスミス『国富論』から始めて経済学の古典から抜書きしていく。