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30 アリストテレス


『政治学』(岩波文庫)

 「人間はその自然の本性において国家をもつ(ポリス的)動物である」(17頁)

 「人間は完成されればおよそ動物のうちでも最善のものとしてあるけれども、しかし法律や法的秩序から離れてしまうと、あらゆるもののうち最悪者となる」(19頁)

 「よき市民は、治められることも治めることも心得ており、両方とも出来るのでなければならない。」(43頁)

 「アジア人はヨーロッパの人々よりも隷属的なので、なにも苦に病むことなく専制的支配に耐える。したがってこのような理由でこの種の王制は独裁制の性格をおびているが、しかも世襲であり、法にもとづくものであるから、安泰なことは安泰である(100頁)

 「「法」とは「中・中庸」にほかならない。」(117頁)

 「独裁者の一命を奪おうと企てる人々のなかでは、独裁者さえ倒せば、あとはもうなんとかして生きのびようなどとは思わない人々が一番おそろしいし、かれらにたいしては最大の警戒を要する。」(284頁)

 「ひと目で全体を見わたすことができる程度の人数(市民がおたがいに知りあえる程度の人数)で、しかも生活の自足に有利なようにできるだけ大きな人口、それが国家の大きさにおける最善の限界である。」(315)

 前回のケインズは政治や経済に「思想が必要」と唱えた。そこで、もう少し先人たちの政治思想を振り返ってみたい。

 アリストテレスは、師プラトンの哲人政治の理想を批判し、現実的な解決を見出そうとしていた。国家は人間の幸せのためにあますことなく徳を用いるべきであると説いている。

 しかし、「最上の市民国家は、手仕事をする者を市民とはしない」(48頁)というように、古代ギリシアは、1,000~2,000の市民人口(女性や奴隷を含めると2~3万人)の都市国家群である。奴隷制の上にある市民政治であることを踏まえなければならない。

 とはいえ、日本をはじめ先進国は、途上国や未開国の人々を犠牲にしながら浪費的な生活をしていることや、近年は極端に投票率が低下していることを省みると、たいして変わらないのかもしれない。

 2300年以上前の政治論は色あせておらず、ヨーロッパの政治思想の源流の豊かさを知る。日本に西洋流の政治体制を取り入れたことの適合と不適合について熟慮する必要があると思わされた。


31 カンパネッラ


『太陽の都』(岩波文庫)

 「彼らは田舎にも出かけ、農耕や牧畜を習います。なるべく多くの技術を身につけ、しかもそれによく熟達している者が、それだけ高貴な者とみなされるのです。」(28頁)

 「ひとりの男と交わって妊娠しない者がいると、ほかの男たちと交わらせます。そして不妊の身であることがわかると、共有の女となることができます。」(42頁)

 「人びとは、罪人自身がその判決を受けいれるよう努力し、罪人自身が納得して自分はその刑にふさわしいと言明するまでかれと話しあいます。」(80頁)

 「かれらは意志の自由を信じています。ある人間が四十時間ものあいだ拷問をうけても、いったん決意した沈黙をまもってついに口を割らなかったところを見ると、遠くのほうから影響をおよぼす星さえも、けっして強制することはできないのです。」(106頁)

1602年の刊行。聖ヨハネ騎士修道会の騎士が、コロンブスの航海士をつとめたジェノバ人を客人に「太陽の都」での見聞を聞き出す形ですすめられている。学問、宗教、政治、社会、教育、技術、農工業、性生活など、人間の営為と生活のすべてにわたって、カンパネッラの理想に具体的形態を与え、世界の全面的な革新を提起している。

 そんな全面的変革を正面から語る強さを持ち合わせた思想を現代社会は持ち合わせているのだろうか。

 ところで、都市と農村の融合という課題がこの時代にも語られていた。それほど根深く、変革されるべき課題なのだろう。


32 ルソー


『人間不平等起源論』(岩波文庫)

 「動物は本能によって選択し、拒否するが、人間は自由な行為によって選択し、拒否する。」(73頁)

 「自由に生きている野生人が、自分の生活に不満を抱き、命を断とうと考えたことがあったかどうか、尋ねてみたいところである。もう少し謙虚になって、文明の生活と自然の生活のどちらが真の意味で<惨め>であるのか、判断してほしい。」(97頁)

 人類の存続が、すべての人が理性を行使することだけに依存していたのであれば、人類はすでにずっと昔に滅んでいたことだろう。(108)

 「ある広さの土地に囲いを作って、これはわたしのものだと宣言することを思いつき、それを信じてしまうほど素朴な人々をみいだした最初の人こそ、市民社会を創設した人なのである。」(123頁)

 「人民が首長を選ぶのは、奴隷になるためではなく、みずからの自由を防衛するためであることは議論の余地のないことであり、これはあらゆる国家の法の根本的な原則なのである。」(161頁)

 「基本法が破壊されたならば、為政者はただちに合法的な存在ではなくなり、人民は為政者に服従する義務を負わなくなる。そして国家の本質を構成するものは為政者ではなく法であったはずだから、人民の各人はその権利において、自然の自由な状態に戻ることになるのである。」(171頁)

 「どうして都市の人間は、これほどの哲学と、人間愛と、礼儀と、崇高な格言に囲まれながら、自分が誰であるかをみずからに問うことなく、他人に問うようになったのだろうか。」(189頁)

 1755年(ルソー43歳)の刊行で、『社会契約論』(抜書き20)とともにフランス革命を導いた不朽の名著とされている。この論文は、「自然状態においては不平等はほとんど存在していなかったこと、人間の精神の発達と人間の能力の開発とから、不平等が力を増し、拡大してきたこと、最後に、所有権と法の確立によって、不平等が安定したもの、合法的なものとなったこと」(190頁)を明らかにしようと書かれた。

 ルソーは、人間が自然状態から乖離した状態を「都市」と表現し、非都市(農村)的な生活様式が取り込まれていることが、社会を維持していく上での調整機能を果たすであろうことを示唆している。大町市のような農山村部に囲まれた小都市の存在意義を考えさせてくれる。


33 カント


『啓蒙とは何か』(光文社古典新訳文庫)

 「啓蒙とは何か。それは人間が、みずから招いた未成年の状態から抜け出ることだ。未成年の状態とは、他人の指示を仰がなければ自分の理性を使うことができないということである。人間が未成年の状態にあるのは、理性がないからではなく、他人の指示を仰がないと、自分の理性を使う決意も勇気ももてないからなのだ。だから人間はみずからの責任において、未成年の状態にとどまっていることになる。こうした啓蒙の標語とでもいうものがあるとすれば、それは「知なる勇気をもて」だ。すなわち「自分の理性を使う勇気をもて」ということだ。」(10頁)

 「革命を起こしても、ほんとうの意味で公衆の考え方を革新することはできないのだ。新たな先入観が生まれて、これが古い先入観ともども、大衆をひきまわす手綱として使われることになるだけなのだ。」(14頁)

 「もしも一つの世代の人々が集まって誓約し、次の世代の人々がきわめて貴重な認識を拡張し、誤謬をとりのぞき、さらに一般に啓蒙を推進することを禁じたとしたら、それは許されないことである。これは人間性に対する犯罪とでも呼ぶべきものであろう。人間性の根本的な規定は、啓蒙を進めることにあるのである。」(19頁)

 1784年(カント60歳)の著作。宗教的な権威に頼るのではなく、自分の頭で考え、行動することが求められる。そういう時代認識が背景に書かれている。

 カントによれば、各人は市民として課せられた義務や責務を忠実に果たさなければならない。これを果たさずに批判的な議論を行うことは理性の私的な使用である。一方で、各人は世界市民の一員として、自由に考えを公表し、議論を行わなくてはならない。これは理性の公的な使用であり、これを用いる自由は守られなくてはならない。その際、自分で考えて発言し、判断を下さなくてはならない。

 この考えからすれば、市長や議員が公職にあるとき、その職務を逸脱して発言することは理性の私的利用にあたり、制限されるべきである。しかし、いったん任期を終えて、選挙されるときは、一市民として自分の考えるところを正々堂々と述べる必要がある。これが理性の公的利用にあたる。

 公共とは、人間が共同生活を営む場であって、イコール行政や政府ではない。というのがカントの公共論だ。

 しかし、自分の考え方を持つということは、今の「自由」な時代にはかえって難しいように思える。


34 ミル


『自由論』(岩波文庫)

 「大衆に代って思想しつつあるのは、新聞紙を通じて時のはずみで大衆に呼びかけ、大衆の名において語っているところの、大衆に酷似している人々に他ならない。」(134頁)

 「唯一の確実な永続的な改革の源泉は自由である。」(142頁)

 「論争の的となっている諸問題に関して、国民の結論を偏向させようとする国家の試みは、すべて不正である。」(214頁)

 「役人の団体というものは、怠惰な慣例の中に埋没しようとする絶えざる誘惑の下にある。」(225頁)

 「統治団体自体の能力を高い水準に維持できる唯一の制裁は、統治団体に属している人々が、統治団体の外にいる同等の能力の所有者によって、絶えず注意深い批評を与えられるということである。」(225頁)

 「能率を害しない限りは最大限に才能を散在させること、但し、情報は能う限りこれを集中し、またこれを中央から散布すること。」(226頁)

 アダム・スミスを始祖とする古典派経済学を完成させたといわれるジョン・スチュアート・ミルによる1859年の著作。

 19世紀前半の英国は政治・経済的な自由が時代の問題の焦点となり、ベンサムの「最大多数の最大幸福」理論が大きな影響を与えていた。ベンサムは被統治者と統治者の意思を一致させれば社会は良くなるとしていたのに比べ、ミルは多数者の専制という危険性を民主主義が持っていることを指摘し、少数者の意見が保障されることの重要性を論じている。

 官僚に統治を一任するのではなく、官僚に対抗できる能力を行政の外に置き、能力を地方に分散させるべきであると主張していて、今の私たちにも注意を与えてくれている。


35 エンゲルス


『家族・私有財産・国家の起源』(岩波文書)

 「母権制の転覆は、女性の世界史的な敗北であった。」(75頁)

 「社会からでてきながらも、社会の上に立ち、社会からますます疎外していくこの権力が、国家なのである。」(225頁)

 「国家は永遠の昔からあったものではない。国家なしにすんでいた社会、国家や国家権力を夢にも知らなかった社会が存在していた。諸階級への社会の分裂と必然的に結びついていた一定の経済的発展の段階で、この分裂によって国家が一つの必然事となった。いまやわれわれは、これらの階級の存在が一つの必然事であることをやめたばかりか、生産の積極的な障害になるような生産の発展段階に、急ぎ足で近づいている。それらの階級は、以前にそれらが発生したのと同じように、不可避的に滅びるであろう。それらとともに国家も不可避的に滅びる。生産者たちの自由で平等な協力関係の基礎のうえに生産を新たに組織する社会は、全国家機関を、そのばあいにしかるべき場所へ移しかえる。すなわち、紡ぎ車や青銅の斧とならべて、考古博物館へ。」(230頁)

 本書刊行の前年(1883年)に他界した盟友マルクスの膨大な資料の中から、モーガン『古代社会』のノートや関連する資料を見出し、まとめたもの。マルクスやエンゲルスは、ロシアやアジアなどの伝統的な共同体への資本主義の導入がもたらす影響に関心を寄せていた。

 原始社会では、集団婚にもとづく母権制の氏族社会であり、家族はまだ形成されていなかった。生産力の発展、とくに牧畜や犂耕の導入が私有財産と父権制家族の発生・強化を招き、貧富の差の拡大と階級対立の激化が国家を成立させたと、唯物史観から説明する。

 その上で、国家のない社会への予見は、国境の意味が薄れている今日、むしろ現実味のある興味を引き寄せてくれる。


36 ベネディクト・アンダーソン


『想像の共同体』(NTT出版)

 「国民は一つの共同体として想像される。なぜなら、国民のなかにたとえ現実には不平等と搾取があるにせよ、国民は、常に、水平的な深い同志愛として心に思い描かれるからである。そして、結局のところ、この同胞愛の故に、過去二世紀にわたり、数千、数百万の人々が、かくも限られた想像力の産物のために、殺し合い、あるいはむしろみずからすすんで死んでいったのである。」(26頁)

 「積極的な意味で、この新しい共同体の想像を可能にしたのは、生産システムと生産関係(資本主義)、コミュニケーション技術(印刷・出版)、そして人間の言語的多様性という宿命性のあいだの、なかば偶然の、しかし爆発的な相互作用であった。」(82頁)

 「こうして、カラカスの新聞は、まったく自然に、また非政治的に、その特定の読者同胞の集団に、これらの船、花嫁、司教、価格の属する想像の共同体を創造した。そしてもちろん、やがてはここに政治的要素が入り込むことになった。」(326頁)

 第11回福岡アジア賞を受賞している筆者が1991年に著し、今や「新古典」と評価されている。国民主義(ナショナリズム)がどのように形成されてきたのかを解明している。

 ナショナリズムの起源は、植民地支配下のラテンアメリカにあり、自己実現が妨げられている現地二世の官僚らの不満に端を発しているという説は、明治維新の担い手となった幕末の下級武士らと通じるものがあって、日本ではナショナリズムの暴走が悲劇を招いた。

 国民というものに実態はない。それはメディアなどによって想像され、創造されていった共同体であるという指摘からはいろんなことを考えさせてくれる。


37 和辻哲郎


『人間の学としての倫理学』(岩波文庫)

 「倫理学とは人間関係・従って人間の共同態の根柢たる秩序・道理を明らかにしようとする学問である」(17頁)

 「人間とは「世の中」自身であるとともにまた世の中における「人」である。従って「人間」は単なる「人」でもなければまた単なる社会でもない。「人間」においてはこの両者は弁証法的に統一せられている。」(28頁)

 「人間存在のなかにはすでに倫理があり、人間共同態の中にはすでに倫理が実現せられている。倫理学はかくのごとき倫理を把捉しなくてはならぬ。」(49頁)

 「人間存在は個人的意識より先である。個人の道徳的意識はあくまでも人間存在に根ざさねばならぬ。しかしまさにそのゆえに人間存在自身は、実践的行為的連関として、根源的に「倫理」を含むのである。人間存在の分析は、経済学たるよりもさらに根本的に倫理学たらねばならぬ。」(179頁)

 「生の表現とは間柄としての存在の表現であり、この表現の理解はおのずから人を倫理に導く。逆に言えばあらゆる間柄の表現は、すなわち社会的な形成物は、ことごとく倫理の表現である。従って倫理学の方法は解釈学的方法たらざるを得ない。」(244頁)

 1934(昭和9)年刊行。当時の日本では、学術分野においても、欧米先進国の翻訳的追随者としてではなく、日本なりの独自性をもったアプローチが広がり、和辻は日本文化の特性を最も明確に認識した哲学者であると評価されている。

 保守主義者として知られる和辻であるが、人間社会の基底となる運動を人間の生産活動に求めたマルクス理論を前向きに評価し、その視野の広さをうかがわせる。そうした文脈から、地域における歴史やそれにまつわる人間関係を紐解くことにより、精神性を表現させ、それが地域の付加価値となるのではないかと考えた。