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01 大蔵永常

『広益国産考』(岩波文庫)

「予諸国を遊歴して其国所を見及び侍るに、深山幽谷は云ふに及ばず、丘山(ひくやま)空地等猶中深の田に至るまで空しく見過しあるを悲しみ、其所の人によそながら尋ぬれば、土地にあはず或ひは人のすくなき所などなどさまざま云ひぬけるを聞けり。かやうなる地を明け置きむなしくするは第一村長の罪にして、全く他国の事を知らざるゆゑなり。」(78頁)

1859年(安政6年、永常92歳)に全巻が刊行された。江戸時代の末期、農業の近代化、殖産興国といった諸藩の要請に応えるために書かれた。TTPで揺れる今の地方行政の長に読んでほしい一冊。


02 柳田國男


都市と農村』(ちくま文庫「柳田國男全集」29)

「我々の祖先があの淋しい土地に入って住む気になったのは、(中略)ただいろいろの添かせぎの、豊かなることが頼みであった。」「しかるに猟でも峠の運搬でも、すべて遠くの人に取って替られ、なおいちばん大切なる林野には都市の資本が入った。国が率先して新式にこれを経営し、(中略)これでは農村のごとき永遠性あるものが、山の間に存続する余地はないわけである。」「それはただ資本家と呼ばるる者の企てで、都市に住する大多数の者の、少しも知ったことではない」(369頁)

「農業を保護してそれで農村が栄えるものならば、現代の保護はかなり完備している。」(372頁)

1929年の本書で柳田は、日本における都市の形成と農村の役割、その衰退について歴史的に解明しながら、農村経済の自立性の回復とそのための農民による「自治教育」の再建を訴えている。私は、上記引用部から、農村副業(添えかせぎ)の再生が重要な鍵であるのではないかと考えるようになった。


03 マルクス


『資本論』(岩波文庫)

「労働はその父であって、土地はその母である」(1-80頁)

「ヨーロッパの強制で開かれた日本の外国貿易が、現物地代の貨幣地代への転化という結果をもたらすとすれば、それは、その模範的な農業の破壊となる。その狭い経済的存立諸条件は解消されるであろう。」(1-245頁)

「以前の自営農民の収奪と彼らの生産手段からの分離とならんで、農村副業の破壊が、工場手工業と農業との分離過程が、進行する。そして、農村家内工業の破壊のみが、一国の国内市場に、資本主義的生産様式の必要とする広さと強固な存立とを与えるのである。」(3-392頁)

 前回の柳田國男は農山村社会が崩壊していく原因の本質を資本の運動にみていた。同様の認識がマルクスの『資本論』(第一巻、1867年)に見出せるが、柳田はこれを読んでいたのであろうか。地域の共同体から労働と土地(天然資源)を奪うことにより資本が増殖していく歴史的過程の記述は、グローバリゼーションが極端に進展する今日に身をおいて読むとたいへん興味深い。

 晩年のマルクスは、資本家階級と労働者階級の闘争という考え方から、資本と地域の関係に再び視点をすえて、共同体に新しい社会の可能性を探ろうとしていたが、その理論構築を残したまま他界したといわれている。


04 ハワード


『明日の田園都市』(鹿島出版会SD選書)

「都市と農村は結婚しなければならない。そして、この楽しい結合から新しい希望と新しい生活と新しい文明が生まれてくるであろう。」(84頁)

「資本家の圧迫に対する真に正しい救済策は、仕事をしないというストライキではなく、真の仕事をするというストライキであり、この最後の打撃に対しては圧迫者は武器を持たないのである」(175頁)

 計画手法による社会改良を構想した本書(1898年)は、世界中の都市計画に多大な影響を与えたが、日本に建設されたニュータウンの多くは「田園都市」の外見の一部が模倣されたにすぎなかった。

 都市と農村を「結婚」させ、それらの良い面を引き出そうとする共同体での仕事が、「真の仕事」であり、それは社会変革の武器となる。今の地域づくり運動が必要としている思想かもしれない。