トップページ » 菜の花ブログ » 水資源講座(第5回) 藤森の技術、森の戦略

Author: kasa
• 水曜日, 11 月 09th, 2011

代表のkasaです。

今日は、地域づくり学習会「水資源開発の歴史に学ぶ」の第5回でした。

戦前の藤田財閥が仕掛けた、大町でのアルミニウム生産の壮大な計画は、ロシア革命による経営的打撃や常盤村民の反発にあい、頓挫します。その系列会社であった、日本軽銀工業(株)も紆余曲折をへて、解散へと追い込まれてしまいます。

しかし、日本軽銀工業信州工場(信濃大町駅前)は、藤森龍麿を工場長とする若い技術者集団により、日本初の高品位アルミニウムの精錬に成功していました。国策もあって財界6社合同でアルミニウム精錬を工業化しようとする試みも頓挫する中で、東信電気(後の東京電力)の建設部長で、日本沃土(後の昭和電工)の社長の森矗昶(のぶてる)はあえてこれに挑戦しようとします。

大町の上仲町にあったイリヤマ旅館に滞在していた藤森を森矗昶が訪問(昭和電工アルミニウム五十年史より)

大町の上仲町にあったイリヤマ旅館に滞在していた藤森を森矗昶が訪問(昭和電工アルミニウム五十年史より)

失意の底にあった藤森は、一緒にやろうと話しかける森に、「もう考えたくない」と固辞します。しかし、森はそれでも「もし失敗したら一緒にアルミニウムの棺おけに入って葬られよう」と説得したそうです。

日本沃土は、大町で操業を開始して約1年で国産アルミニウムの生産に成功します。それは、藤田財閥による大町での電源開発やアルミニウム精錬実験、信濃鉄道(現・大糸線)の敷設推進がすでに完成に近いところに来て挫折したことが前史にあったとの森矗昶の発言が所論集に残されています。

森の説得で動かされた藤森のもとに、大町で活躍してきた仲間が再結集され、その「藤森軍団」が昭和電工初期の技術的土台をつくります。今、昭和電工は電極生産で世界に大きなマーケットを持っていますが、その「マザーズ工場」がこの大町事業所であり、黒鉛電極の自給を始めたのも藤森の先見の明でした。

藤森がアルミニウム精錬の実験を信濃大町駅前で成功させたのは1916(大正5)年。もうすぐ100年になります。ぜひ、その偉業を顕彰し、地域の歴史に名を刻みたいものです。

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