トップページ » 菜の花ブログ » 日本軽銀信州工場はどこにあったのか?

Author: kasa
• 火曜日, 9 月 27th, 2011

代表のkasaです。

今日は、連続講座「水資源開発の歴史に学ぶ」の第2回でした。

今回は、この安曇野の地に近代化の電力を供給した「安曇電気(株)」の役割を、講師の伊東昇先生(仁科路研究会)の丁寧な資料のもとに学びました。

大町の地が拠点となって信州工業の近代化が図られました(出所:中部電力『安曇野に電気が灯って100年』)

大町の地が拠点となって信州工業の近代化が図られました(出所:中部電力『安曇野に電気が灯って100年』)

安曇電気の本社は大町にあって(仁科町、現中部電力大町サービスステーション)、白馬から松本(島内)、生坂、大岡など、中信地区の北半分のエリアに電力を供給していました。

安曇電気は、創業時から「電灯」ではなく、動力としての「電力」の供給を意図した会社で、中房川の宮城(みやしろ)第一発電所(日本現役最古の水車と発電機がある)をはじめ、明科火力発電所など、さまざまな電源開発をすすめてきて、その後、諏訪電気と合併して、信濃電気に、そして中部電力へと統合されました。

日本軽銀信州工場からみた信濃大町駅(同上)

日本軽銀信州工場からみた信濃大町駅(同上)

安曇電気の電力は、亀長電気製鋼所(松本島内)による日本初の電気炉製鋼法や、後の昭和電工となる日本軽銀信州工場(信濃大町駅前)による高品位アルミニウム精錬実験などに電力を供給し、日本の工業化のさきがけとなる中信平の近代化を支えました。

その安曇電気本社から「軽銀線」と名づけられた高圧電線約260mを引いた先で、信濃大町駅から約一丁(約100m)の場所に、日本のアルミニウム生産のさきがけとなる日本軽銀信州工場が立地していました。

駅前にある昭和電工所有の駐車場からみた信濃大町駅方向

駅前の昭和電工所有の駐車場からみた信濃大町駅方向

今日は、講義の後、現場に出かけて、昔の写真と比べながら、その場所の特定を試みてきました。確定はできなかったものの、おおよその目安は立てられたと思います。

こういう歴史を掘り起こす作業って、面白いですね。

とても刺激的な学習会です。ぜひお出かけください。

You can follow any responses to this entry through the RSS 2.0 feed. You can leave a response, or trackback from your own site.
Leave a Reply