代表のkasaです。
昨夜、「原発と学校給食」をテーマに熱い議論をしてきたというyukoさんが、信濃毎日新聞6/26付一面の「考(156)」の記事「原発リスクを解消できるか」の切り抜きを持ってきました。
ビートたけしが自動車事故と原発のリスクを同列に論じたことに対して、原発の「制御しにくい複雑系の怖さ」を見逃していると、批判しています。
私はちょっとこの論に違和感があります。
自動車も非常にリスクの高いものであるけれども、そのリスクを正面からとらえてさまざまなシステムを構築してきたからこそ、「交通戦争」といわれた状態からある程度まで改善されてきた。原発は、正面からリスクに向き合ってこなかったから、管理できる社会システムを構築してこれなかったのではないか。むしろ自動車と同列に議論してこなかったところに災害を大きくした原因があるのではないか。
と、yukoさんに水を向けたら、いつものようにhigeさんも悪乗りしてきて議論になりました。
中略
一言でいえば、原発はいろんな切り口があって、現代社会を考える題材としては面白いよね、ということです。というか、この3人は考え方が多様で、社会問題では一致したことがない。
家に戻って、あらためて中馬主筆の「考」を読みました。
中馬さん、複雑系の説明でチャールズ・ペローの「科学プラントや原子力プラント、交通管理システム、核兵器、宇宙飛行、飛行機など危険な技術が起こす事故には、はっきりした原因がない」という言葉を引用していますが、ちゃんと交通管理システムが例示されていますよね。
そのすぐ下で、「自動車・原発バランス論が見落としたのは、複雑系システムの怖さである」と自動車リスクと同列に議論することを批判しています。
複雑系という言葉に逃げるのではなく、自然科学のひとつの到達点である原子力に正面から向き合い、どのようにこれを管理し、人類の幸福につなげていくのかを科学する(特に社会科学の)力が問われているのではないでしょうか。
今夜の古典学習会のテキストは、マルクス『経済学・哲学草稿』でした。
26歳の青年マルクスは、自然科学と社会科学(とくに哲学)とが遠く離れた存在であることを嘆きながら、しかし自然科学の成果は、産業を通じて人間の解放に役立つものとなるべきものであると書いていました。
そんなマルクスの言葉からも、今回の原発問題で一番真剣に反省すべきは、社会科学とそれを応用する領域の人たちではないか、などと思いました。
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3 Responses
木曜日, 30. 6 月 2011
私は原発問題をおもしろいと思ったことはありません。温暖化防止のために原発が増えたことにも疑問があります。係数をかけて計算するCO2排出量にあてはまらない、原発が温暖化を含めた環境への影響について、これからは、科学的に判断されていくのだと思います。やはり、制御できないという点では、化学的に自動車のリスクとは違った種類のものだと思います。社会科学が追いついていないという点では同感です。kasaさんも関わっている、電気のごみを処理できない現実を抱えているという点でもそれが説明できると思いますが・・・
木曜日, 30. 6 月 2011
たしかに「面白い」は表現としてはよくないかも。
でも、自動車のリスクって、事故ばかりではなく、いま健康被害で深刻な問題になっているPM2.5(浮遊状の超微細粒子)など、科学的なリスクも高く、その影響エリアも広いので、やはり人間社会が制御難しい問題だよ。
月曜日, 4. 7 月 2011
コメントの嵐?なので
『悪乗り』のヒゲも一言。
あたしの情報源って朝日くらいしかないんだけど、先だって「ドイツの社会学者ウルリッヒ・ベック」って言う人のインタビュが載ってて勉強になったのでここでご紹介。
http://nekodayo.livedoor.biz/archives/1537440.html
世の中にはご親切な方がいらして、上記URLに全文掲載されていました。
彼は複雑系、制御不能に加えて「限界のないリスク」と言う視点でこの問題を語っています。
この問題も「災害リスクの問題」と一括りにしてしまっては見方が一面的になってしまい問題の本質を見誤ってしまうかも知れませんね。
数値によるリスク管理と言う手法自体、そうした複雑多様な事象をある一面から捕らえた一指標をよりどころにしているものでしょう。
どのような議論があろうと、おそらく、本当に大切なのはやはり社会的なコンセンサスなのだろうと考えます。
より多くの人々が出来る限りの多くの客観的情報から得た「合意」がその社会の方向付けになるべきです。
そういえば、せんだってはこの事務所で「安心と安全」というテーマでの議論もあったっけネ