・発足の経緯
2002年10月から半年間の「仕事おこしワークショップ」の成果として発足しました。
使われなくなったスキー場や休耕田、旅館やホテルなどの廃食油、障害者・高齢者の働きたいという意欲、冬期の建設労働者の働ける力などを組み合わせた検討が、全国的に広がりつつある「菜の花プロジェクト」と結びつきました。
2003年夏、市民実験として障害者作業所とともに市内の廃食油を回収調査を行ったことを皮切りに、バイオ軽油の精製作業を構築してきました。
また、2005年度よりは、菜の花農業生産組合とともに、菜種油をエキストラヴァージンオイルとして普及する活動をすすめています。
プロジェクトがめざす地域づくり像
・菜の花エコプロジェクトの現状と課題(2007年11月時点)
2003年からたちあげた「菜の花エコプロジェクト」は、さまざまな試行錯誤を経て、菜の花農業生産組合および東京菜の花プロジェクト連絡会との連携、市内の観光業や建設業などの協力により、市民事業としての形をなしつつある。
現在、BDFについては、市内の旅館・ホテル、飲食業などを中心に廃食油を回収し、本会の会員を対象に、月2000~2500㍑のBDFを提供している。 その用途は、建設業や農林業などの重機、山小屋の発電機、民宿のマイクロバス、個人の自家用車など多彩で、若い世代を中心に利用が広がっている。
菜種油の生産は、菜の花農業生産組合が組織され、蕎麦と菜種の混作という画期的な方法により、使われなくなったスキー場からはじめて、その後も耕作面積を 広げ(約20ha)、2006年9月、長野県より荒廃農地解消の功績により知事賞を受賞した。ここで取れる菜種を、同組合が手作業で搾ったヴァージンオイ ルとして普及している。2006年10月よりは「菜の花オーナー」制度を立ち上げ、全国から250名余が登録されている。
当初、手作業で苦労して搾った油は、どろどろで色も濃く、これではてんぷらもできない、バイオ軽油にするしかないとあきらめかけていた。ところが、つてが あって、かつて人気テレビ番組で「フレンチの鉄人」と呼ばれた石鍋裕シェフより、「てんぷら油の発想はやめなさい。これがヴァージンオイルであり、私はこ ういう油が日本でつくられることを願っていた」と助言をいただいた。
【菜種油→廃油→BDF】という循環を固定概念としてもっていた私たちとっては衝撃的なことで、これを受けて、次のように方針を組み替えた。
①荒廃地などで菜種を栽培し、それを搾りたてのヴァージンオイルとして普及する。(食べきるので廃食油は派生しない)
②市内の旅館・ホテル・飲食店などの廃食油を回収して、BDFに精製して、地域内で消費する。(食用油は国内消費の98%が輸入なので、それはきちんと再資源化する)
この方針により、付加価値の高い菜種油の生産ができるようになり、事業としての定着を可能にした。また、食油としての豊かな利用方法を知ってからは、食糧の安易な燃料化の動きには疑問を抱くようになっている。
さて、地元に菜の花畑が広がってくると、これを観光資源として活かそうと「残雪に花 ウォーキング」実行委員会が2006年11月よりたちあがり、イベントの企画や旅行商品の提案などを行っている。
しかし、課題も多い。食廃油の収集とバイオ軽油の生産は、産廃をめぐる諸規制の強化や寒冷地特有の制約、採算性の低さなどの課題が山積している。また、バ イオ軽油の規格化の動きも、私たちのような地域単位の取り組みを駆逐する可能性もあり、注意を要する。いずれにしても、自治体の取り組み姿勢により、大き く左右される事業であり、経験や支援策の交流が広がることを期待したい。
・新聞報道
読売新聞記事 2007.9.25付、9.26付
・関連リンク
工房姉妹店・菜の花ステーション/ネットショップ
菜の花プロジェクトネットワーク