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Author: kasa
• 火曜日, 7 月 09th, 2013

代表のkasaです。

6日(土)は、大北公民館大会が大町市八坂地区であり、平分館長会副会長ということもあり、参加しました。

午前中は、八坂が発祥の地である「山村留学」について、財団法人「育てる会」理事長の青木孝安さんの講演がありました。一度詳しく知りたいと思っていたことでもあり、非営利事業に従事するものとして勉強になりました。教員としての仕事に疑問を抱きながら、37歳でこの事業を始めた青木さんは、志が高く、それを裏付けるマネージメント力を持った方という印象でした。市長さんを目の前にして、「定住促進で住宅団地を造るのはよくない」とか、「コミュニティ・スクール構想を活かしながら、小中学校のあり方を抜本的に考えなければ」などと、率直に政策を語る姿勢には1万人を超える山村留学生を育ててきた自信をかんじました。

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午後からは分科会として、八坂にある藤尾覚音寺を、仁科路研究会会長の荒井和比古さんのご案内で見学しました。これも一度足を運んでみたいところでした。

それにしても、こんなに山深く分け入ったところにあるとは思いませんでした。藤尾の集落は、かつては11戸あったものが、現在では1戸のみ。つまり、僧正さん一家のみが住まわれている地域ということです。

そんな山奥に、国の重要文化財である千手観音をはじめ3体が安置されています。その彫りは、素人目にも美しく、気品を感じさせるものです。平安時代末期の治承3(1179)年に造られたという記録が胎内から見つかったことも価値を高めているそうです。

なぜ、こんな山奥に」という疑問が当然のことながらわきます。それなりの経済的基盤がなければ、この地にこれほどの作品を建立できるわけがありません。

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私の質問に対して、荒井先生は、「江戸時代や明治の初め頃までは、大町よりもむしろ八坂の方が人口も多く、このへんも田畑で開けていて、産業も盛んだった」とコメントして下さいました。

柳田國男『都市と農村』には、産業革命以前の山村には添え稼ぎ(副業)がたくさんあり、現金収入が豊富だったと書かれていましたが、身近なこの地にもそのような歴史があることを知りました。

機会があればぜひ参拝されてみてはいかがでしょうか。

 

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